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    ゴミ拾いで小さな生命(蟻)を慈しむ

    2011.10.04 Tuesday

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      <ゴミ拾いで小さな生命(蟻)を慈しむ>

      早朝、ウォーキングをかねたミミちゃん(柴犬)との散歩で「ゴミ拾い」を始たのは、5年前の8月16日。今では、この「ゴミ拾い」がわたしの喜びとなり、続けることが生きがいになっています。ある時、こう言われました。「よく続くね。人が捨てたものを拾うなんて、僕だったら頭にくるよ」と。だけど、苦になるどころか、ゴミを拾っていることが楽しく、清々しい気持ちになるのです。

      振り返れば、すべてが仕事中心の生活でした。ビジネスに明け暮れ、会食やゴルフ…おつき合いも忙しくこなし、わたしの「生き道」をびゅんびゅんとかけ足で直進。日々を一瞬の景色として見過ごしてきたことが、なんと多かったことか。もっと丁寧に生きてこられたのかもしれない…と気づかされたとき、世の中のために役立つことをしたいという思いが強くなったのです。見過ごしてきた道への「償い」と、生かされていることへの「感謝」。少しでも環境を良くしたいという「奉仕」。わたしができる、そのカタチが「ゴミ拾い」だったのです。おかげでさまで、ざまざまなことを教えられ、気づかせてくれました。

      ビニール袋とトング、軍手を持ってミミちゃんと一緒に「ゴミ拾い散歩」へ出発。朝日が差し始めると草木や花、鳥や虫たちが優しくあいさつをしてくれます。四季折々の自然界の息づかいは気持ちがいいものです。夏は小動物も活動的で、ゴミ拾いをしているとよく「蟻(アリ)」を見かけます。菓子袋やジュース缶などに群がる蟻たちが、一生懸命働いている姿を見ていると愛おしくてなりません。うっかりゴミ袋の中に入った蟻を見つけた時、わたしの悲しみ様は尋常ではありません。袋をひっくり返して助けてあげるのですが、蟻は仲間から離れると、さみしくひっそりと死ぬらしいのです。可哀想なことをした…と自責の念にかられます。

      わたしは生き物が大好きで「生命(いのち)あるものを尊ぶ」というのが信条です。昔ほど身近に蟻を見なくなったのは、環境の変化だけでなく、一生懸命生きている蟻を、人間が勝手に害虫と名づけて、駆除しているからでしょう。じつに残念です。
      この世に生を受けて、ここに生かされているすべての「生命」は、かけがえのないものです。わたしは「生命」を慈しみ、大切にすることは人としての使命であり、思いやりをもって共生していくことが役割だと思っています。

      明朝もミミちゃんと「ゴミ拾い散歩」を楽しみながら、蟻たちと他愛のないおしゃべりに興じることでしょう。「生命を慈しみ、人生を楽しむ」って、なにげない日常から生まれるんですね。地道にコツコツと…「人生を楽しむ道」のどこかで会いましょうや。

      「早朝の 犬との散歩の ごみ拾い 蟻の生命(いのち)を 慈しみ拾う」(こうすけ)

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        コメント
        お散歩とゴミ拾いのお話。心が温まります。我が家でも、家内が中心で早朝に家の前の公園と道を掃除しています。ありにも、大切な役目があるとぼくも思います。京都の実家の畳の上を、ありがしょっちゅう歩いてました。父が見付ける度に、庭に離していたのを思いだします。昨日、400mlの蒸留竹酢をインターネットで購入したものです。幼稚園の長男の肌が弱いので、お風呂に入れてみようと思います。
        ありがとうございました。
        • by inouekiyoshi
        • 2011/10/07 10:20 AM
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